プレイリーダーにインタビュー!
プレイリーダーであり、一児の母でもある”まさみっちょ”に聞きました。

保育士からプレイリーダーになるまで
大学を卒業して、初めて務めた幼稚園は2、3ヶ月でやめてしまったの。幼稚園の先生に凄く憧れてなったけど、思い描いていたものを違っていて。ことわざとか英語とか、すごくお勉強をさせる幼稚園だったんだよね。
その次に勤めた保育園は、子どもたちがおもいおもいに自由に遊んでいて、その姿に自分の子供時代と重なり、一目ぼれして、はいった。
そこでは6年半勤めたんだ。
その後、保育園の子の親でプレイパークの代表をやっている方との縁で、プレイパークに遊びにいくようになった。最初は自由に遊んでいる感じとか、勤めていた保育園に似ているなって思った。
でも、誰でも入ってこれる、好きな時間にきて、好きな時間に帰れる、枠がない感じが違うと感じるようになった。お散歩しているおじいちゃんとか、全然知らない人でも声をかけられるし、それが超楽しいなって。
小学生との関わりはもちろん、中高生との関わりもおもしろくて、どんどんはまっていっちゃった。
プレイリーダーになってから
はじめの頃は子どもたちと、とことん遊ぶようにしていた。遊ばないと子どもたちと関係を築けないから。
遊びながら、プレイリーダーってなんだろう?ってことをよく考えていた。私は子どものとき、大人のいないところでこそ、楽しく遊んでいた。でも大人になった私は、子どもの遊び場にいる。その矛盾。
プレイリーダーの仕事について、とても悩んだ。子どもと向き合うなかで、ときに自分の幼少期にぶつかることがあるんだよね。自分の幼いときの、色々なことを考えていたら訳が分からなくなってきちゃって。
周りの人が色々言葉をかけてくれるんだけど、どんどん苦しくなっちゃって。一時期3ヶ月ぐらい休ませてもらった。でも、プレイパークにいって子どもと遊んでいくなかで、やっぱりここだなって。私の居場所じゃないけどさ。こんだけ楽しくて、こんだけやりがいのある仕事は他にみつけられないなって。そしたら、もう大丈夫だな、って思った。
よく憶えている子どもとの思いで
大泥合戦!
大勢の子を巻き込んだ大泥合戦に遊びが発展した日があったんだ。
泥遊びをした後って、不思議と心がすごい解放されるんだけど、普段学校で何があったとか家で話さない子(小学生高学年の男の子)が、この日の泥合戦のことをすごく興奮してお母さんに話したんだって。お母さんはそれでびっくりしちゃって。そのお母さん、「子どもにとってすごい大切な場所をつくっているんですね。そんな場所をつくってくれてありがとう」って言ってくれたの。
小学校高学年とか中高生って、遊びを大人にみられたくない、とか大人を避ける時期じゃない。そんな時期の子がプレイパークに来ていると、ああここはまだ子どもたちの遊べる居場所になっているんだなって、面白いって思えてもらえてるんだなって安心する。
プレイリーダーは子どもの心を守る仕事
プレイリーダーって子どもの心を守る仕事だと思ってる。守れているかどうかわからないけど、守りたいなって思ってて。
中高生と話していると、たまにぼそっとすごいことを話し始めることがある。自分の親のこととかばーっと。そんな体験しなくても、と思うようなことを経験してて。なんかそんな子たちが抱える心のもやもやを、自分がいることでちょっとでも、なんかそこがちょっとでも暖かくなればいいなって思っている。
(※インタビュアー
他のプレイリーダーがプレイパークのことを”セーフティーネット”という言葉で説明していた。普通は自分の家庭が心を受け止めてくれる。でも、家庭に何か問題を抱えている子は、家庭に代わる存在として、自分を受け止めてくれる人のいるプレイパークにやってくる。)
すごい何かを抱えているなって子とは、私は遊びで関わっていく。自分が持っている遊びの中で、その子が得意そうな遊びをしかけてみたりして、がっつり遊ぶ。
話をきくよっていってもさ、悩んでいるときに話をきくよっていわれても話したくないじゃん。話したい人なんて自分で決めて話すよっていうかさ。だから、一緒に遊ぶ中で、もやもやを発散して、そのことを通じてつながっていけたらなって思ってる。
将来のプレイリーダーへ
プレイリーダーやプレイパークのことについては、体感する中で理解できることが多いので、興味があったら、まず遊びにきてほしい。子どもの遊ぶ姿とか、そこにいるプレイリーダーの姿を見てほしいな。
そこで、感じられるものがたくさんあると思う。

「まさみっちょ」こと山崎雅美さん&長女 翠音(ミト)ちゃん
保育士を退職後、プレイリーダーを8年勤務 横浜市都筑区 まんまるプレイパークに常駐 結婚、出産を経て、現在育休中